西成の暴動について話します【大阪の探偵事務所】
先日のブログにて、重い盾を二時間持ち続けることができたということを話したかと思います。
今回はそのことについてお話ししたいと思います。
それが第24次西成暴動でした。
大阪市内に所在する西成区という地域は日雇い労働者の街として全国でも有名な地域で、同時に治安の悪いことでも有名でした。
私は警察学校を卒業後、西成警察署に赴任することとなり、初めて西成区に足を踏み入れました。
私が赴任した当時は、未だに覚せい剤や大麻、コカイン等の規制薬物が路上で密売されており、後に一掃されることになりますが、道路にはびっしりと露店が立ち並び、段ボールやビニールシートで覆った家(浮浪者の住処)が一帯を埋め尽くしていました。
住人は昼間から酒を飲む者ばかりで、路上で横たわる人が何人もおり、また、ドヤと呼ばれる簡易宿泊所が多数立ち並んでおり、そこは一泊1000円程で泊まれる格安ホテルでした。
私が西成に赴任して最初に驚いたことは、警察署の周りを囲うように人が並んでいるということでした。
警察署の北側に公園があるのですが、そこでは毎日炊き出しが行われており、それを目当てに人が並んでいたのです。
更には警察署の前には警じょうと呼ばれる長い木の棒を持った警察官が門の前に立っていました。
とにかく西成は他の地域に比べて明らかに異様でした。
さて、それでは暴動について話します。
西成で初めて暴動が起こったのは1961年にまで遡ります。そこから約10年ほどの間に21回もの暴動が起こりました。
発端は労働者絡みが大半で、当時は右翼、左翼が活発に活動していたのでそれも暴動に発展した要因となっていました。
それから月日が流れ、1990年と1992年に暴動がありましたが、以降10年以上暴動に発展するような事態に陥ることはありませんでした。
このため、西成警察署に赴任すれば、暴動について教養を受けることになるのですが、「今は平穏で暴動に発展する可能性は低い」と締め括られていたのです。
私自身毎日労働者を見ていましたが、酔っ払いが暴れることはあっても、高齢の方ばかりでしたので、「もう暴動を起こすような元気はないだろう」と思っていました。
そして2008年のことです。
当時私は西成警察署の直轄警察隊という部署に配属され、治安活動や内勤の応援などを行っていました。
直轄警察隊というのはいわゆる「腰がるく動く若い兵隊」のような感じの部署で、地域警察をいくらか経験したばかりの新米の警察官が内勤(刑事課等)に入るための登竜門として配属されるようなところでした。
その部署は万が一暴動が発生した際に、最初に警察署を守る部隊としての役割も担っており、定期的に盾操法等の訓練が行われていました。
そんな中、忘れもしません。
私が当直勤務に就こうと公かいに向かっている時でした。
外から男性ら数人の怒号や罵声が聞こえてきたのです。
このような労働者からの暴言はたまにあることなので、私は「また誰かなんか言ってるわ」程度に思って無視していたのですが、次第にその声が増えていき、ついにワンカップの空きビンが投げられたのです。
外で「パリン」という瓶が割れる音が何度も聞こえてきました。
公かいにいた他の職員も「これはただごとではない」という雰囲気を察し始めました。
そうこうしていたら、今度は労働者らが罵声とともに門を叩き始め、その勢いで門が破壊されんばかりに「ドンドン」大きな音が響いたのです。
※ワンカップが投げ込まれたあたりで門の鍵を閉めている
他の直轄警察隊員はすでにスーツを着て帰宅しようとしていたのですが、「署員は速やかに盾を持って整列」というアナウンスを受けてすぐさま治安五号という武装を整えました。
そこから日本で起きているとは思えないような地獄の一週間を送ることになるのでした。
次回に続く
ケイジ探偵事務所
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